やはりというか、当然というか、10月1日までにすべての仕様書は完成しなかった。正確には、ホライゾンシステムさんの必死の努力によって、仕様書自体は送られてきていたのだが、渕上マネージャが、片っ端から「不備を指摘」して差し戻したため、「完成」にならなかっただけだ。
それでも、10月1日から実装開始、というスケジュールは動かせなかったので、仕様書の仕上げはホライゾンシステム内の別のエンジニアが引き継ぎ、ムツミさんは予定通り、ITマネジメント課で常駐を開始した。
「今日からお世話になります。よろしくお願いします」
ずらりと居並ぶITマネジメント課の社員たちの前で、ムツミさんは緊張の面持ちで短く挨拶し、全員の拍手を受けて、頬を紅潮させた。
初日は、社内施設の案内や、臨時入館証の登録、開発環境の構築や、実装の進め方の打ち合わせといった事務的な些事で、慌ただしく過ぎていった。Eclipseのプロジェクトは、あたしが作成済みだし、テーブル設計に合わせたentityクラスも亀井くんが作成してある。テンプレートのHTMLは、管理系については、一応すべて作成済みだった。細かい部分は、ムツミさんに実装しながら、手を加えていってもらうことになる。
常駐2日め、ムツミさんの常駐は本格的にスタートした。これまでの打ち合わせなどを通して、ムツミさんが自分から積極的にコミュニケーションを取る人ではないと分かってきていた。エンジニアの中には、他人と協調することで数倍の力を発揮する人もいるが、ムツミさんは明らかにそのようなタイプではないようだ。それでも、不明点を自分で勝手に消化したりせずに、きちんと質問してくるので心配はしていなかった。
午前中、ムツミさんはEclipseの環境を自分好みに変更した後、職位マスタメンテナンス画面の実装を開始した。さすがに最初はいくつか質問をしてきたものの、すぐに早いペースで実装を進め出した。Teedaの経験はないと言っていたけど、今日までに訓練してきたらしく、見た限りでは実装方法で戸惑っている様子はない。
あたしはひとまず安心し、自分の仕事を進めた。最近になって現場から上がってきた機能追加要望を、すでに設計済みの機能に組み込めないか検討していたのだ。亀井くんは、まだ少し残っているテーブル設計を片付けていた。渕上マネージャは何をしているのか分からないが、しきりに何かを入力していて、ムツミさんの作業に口を出そうとはしなかった。
正午少し前に、あたしとムツミさんは作業の手を止めた。今日はムツミさんと食堂をランチを取ることにしていたので、混み合う前に席を確保しようと思ったのだ。それを見て、亀井くんも慌てて立ち上がった。
「ご一緒します」
いつもは同期の連中と外に食べに行く亀井くんも、今日は同行した。放っておけば、毎日でも同行しそうな顔だ。
あたしたちは、テーブルの1つに陣取り、ゆっくりランチを楽しんだ。亀井くんは、しきりにムツミさんに話しかけ、ムツミさんも口数は少ないものの、それなりに楽しんでいるようだった。
「ここの食堂は安くておいしいですね」パスタセットを選んだムツミさんは、うれしそうに言った。「うらやましいです」
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